3.12

 

 

 

今日から大阪の祖母宅へ!

ぷらっとこだまに乗って四時間かけて向かいます

 

 

盛大な焼肉弁当

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別アングルから

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美味しかった…… ちょっと奮発しただけありました

高菜と梅紫蘇蒟蒻?も妙においしかったな

ただ今日お弁当の写真しか撮っていなかったのは一体…

 

 

 

 

道中、基本的にはずっと本を読んでいて、ちょこちょこたまっていたブログ消化したり

 

 

ドイツ詩読んだし次はイギリスかな!と思って「イギリス名詩選」を借りてみた

こちらの冒頭、訳者のことばがすごく心に響いたので引用

   われわれの前にあるテキストは、黙して語ってはいない。しかし、聞く耳があれば、それらの活字は、時として囂々たる叫びをあげ、時として静かに訴える響きをあげているのが聞こえてこよう。(中略) 私が言いたいのは、読者としてのわれわれは、黙して語らざる言葉 (あるいは活字) の背後に響いている、作者の内面的な声の交響を聞く用意を常に怠ってはならない、ということである。(中略) それらの言葉は、イギリスの、そして西欧の、社会史・精神史の結晶といっていいものである。(中略) 

   こういったことを、若い読者はしっかりと覚えていてほしい、と年老いた私は心から願っている。もっと西洋の人々の心について知りたいと思う人は、先輩の助言を求めて勉強されることを希望する。しかし、それと同じくらい、或いはそれ以上に、私が希望することは、一人の生ける日本人として、或いは東洋人として、日本や東洋の文化や人間性についての理念を、単なる教えられた知識としてでなく、体験化された生けるものとして知る、自分の内側にとりこんで身につける、身につけようとつとめることである。そういった「しん」の強さを身につけようと絶えず努力することである。自分という存在を見据えることだ、といいかえてもいい。(中略) イギリス人が愛読し、賛美している詩だからといって、われわれまでが賛美する必要は毛頭ない。理解し難いからといって、直ちに自らを責めるのは愚かである。分らない場合に分らないと言うことは、分ったふりをするより、遥かに誠実な行為であり、心の中に「しん」をもっていることを証明している。しかし、このような違和感、抵抗感から、少しずつ、展望が開けてくる。イギリスと日本、—遥かな西にある小さな島国と遥かな東にある島国日本。

 

先日、英語も文化と歴史の結晶であるということを感覚的に理解できたところだったから余計に響いたのかもしれない

それにしても 自分のこと、自分の基盤となっているものを理解するのって本当に難しい

私が西洋の方を向きすぎなのかもしれないけど まだ全然できない

 

 

(原文を読んでいるとthyとか出てきて、まさに古文だなと思った)

 

 

 

 

二月頭に買った洋書も読んでいたのだけど、とにかく眠くなるので夜読んだら安眠が期待できるかもしれない笑

 

 

 

そんなこんなしていたら(寝てもいないのに)あっという間に新大阪

道中にしたいことが多すぎてもう四時間では足りない…

 

 

こういう人は18切符で行けばいいのだろうけど、それはそれで車窓見ずに本読んでるのももったいない気がするし、こだまくらいがちょうどいいのかも